アート思考とデザイン思考

「アーティストのように独創的なものを生み出す」イノベーションや創発のための思考法としてアート思考が注目されています。
よく対比されるのが「デザイン思考」ですが、デザイン思考は「人間中心デザイン(HCD)」ユーザーにとっての最適解を得る「課題解決」思考なのに対し、「そもそも何が課題なのか」「自分は何をしたいのか」から発して「今までまでなかったものを創造する」ための思考法がアート思考になります。

よく企業やNPO等から「イノベーションができる組織、クリエイティブな組織にしたいからデザイン思考の研修をやりたい」という相談を受けることがあります。
ここでいう「イノベーションができる」あるいは「クリエイティブ」とは「新たな製品やサービスを立ち上げる力」という意味のことが多いのですが、実はそれが「顧客やユーザーにより適合する製品やサービスを見つける力」なのか「今までにない製品やサービスを新たに創造する力」なのかによって思考のプロセスは異なります。
前者が「デザイン思考」、そして後者が「アート思考」です。

アート・サイエンス・テクノロジー・デザインのサイクル

下の図は、マサチューセッツ工科大学メディアラボ(MIT Media Lab)のNeri Oxman氏が発表した「Krebs Cycle of Creativity」と呼ばれているものです。
Krebs Cycleとは「クエン酸回路」のことで、生物の体内でエネルギーを生み出す生体サイクルのことです。
食べ物によって外部から摂取した糖分やアミノ酸等の栄養分が、細胞内で私たちのエネルギーに変換されるプロセスがあって、私たちは生きて活動することができます。

この「クエン酸サイクル」の仕組みを社会システムに応用したのが、Krebs Cycle of Creativityです。現代の「複雑系社会」ではアート・サイエンス・エンジニアリング(テクノロジー)・デザインの4つの要素が循環することで社会の「エネルギー」が生産されて、私たちは人としての社会活動を行うことができるとされています。

MIT Media Lab所長の伊藤穣一氏は、「サイエンスは自然の情報をナレッジに変える。エンジニアリングはナレッジを利便性に変えることができる。デザインはそれを社会へ。そしてアートは社会をperception(認知)し、イメージに変えてまた科学へと渡す。」とそれぞれの役割について述べています。

「空を飛ぶこと」を表したKrebs Cycle

Krebs Cycle of Creativityの例として、空を飛ぶことについて考えてみたいと思います。

アート
大昔から「空を飛ぶこと」は、人類の大きな夢でした。あなたも子供のころ「自由に空を飛びたいな」と思ったことが、きっとある筈です。そんな夢を表したのがまず「アートの世界」でした。ギリシャ神話の「イカロスの翼」から始まり、最近のSF映画まで様々な空を飛ぶアートが生まれています。

サイエンス
なぜ人間は空を飛べないのか? これは言うまでもなく地球上に重力が働いているからですが、それを科学として解明したのがご存知ニュートンの「万有引力の法則」です。そして鳥はなぜ空を飛べるのか? は「流体力学」です。これらのサイエンスが解明されることで、人類が空を飛ぶ夢に具体的に近づくことができました。

エンジニアリング
サイエンスを具体的な形に落とし込むのが、テクノロジーでありエンジニアリングです。重力や流体力学など様々なサイエンスを具体的な形にしたのが「飛行機」です。飛行機が現在のように人の移動や物流などに生かされているのは、エンジニアリング技術により、性能の良い大量の航空機が生産されているおかげです。

デザイン
「飛行機を快適に利用したい」「より便利に活用したい」という気持ちに答えているのがデザインです。製品のデザインはもちろん、空の旅を使いやすく快適にする様々な「サービス・デザイン」が生まれています。

そして次のアート
「時代」や「パラダイム」をもう一段進めるのはアートの役割。漫画やアニメのドラえもんは「タケコプター」「どこでもドア」などを私たちに示し続けています。前者はドローンの登場で、その「空を自由に飛ぶ」夢に一歩近づいた感がありますね。後者はいまのサイエンスでは実現不可能ですが、最近バーチャルの世界で、日本にいながらハワイやグアムにいる感覚になれる装置も生まれています。

デザインとアートの違い

「社会の課題」を念頭に置いてこのKrebs Cycleを見てみると、課題を認知するのが、アートとサイエンスの役割、そして課題を解決しようとするのが、エンジニアリングとデザインの役割です。
左右の軸については、まず右側から言うと、どんな課題があるのか、その課題はどんな性質のものなのかを分析する、Knowledgeを考えるのが、サイエンスとエンジニアリング。創造や創作といった人の行動(Behavior)にかかわるのが、左側のアートとデザインの役割ということになります。

アートとデザインについては、Whyを考える、この世はどのような課題を抱えているのか、なぜ存在しているのかを表現しているのが、アートです。一方でその課題に対して、どのような解決策があるのかを考える、Howを考えるのがデザインになります。

「デザイン思考」は顧客の抱える課題、問題をどうすれば解決できるかを考える、いわゆる「人間中心(Human Centered)」と言われています。ここでいう「人間」とは「顧客」や「顧客をとりまくステークホルダー」と考えていいでしょう。「自分がどうしたいか」ではなく「どうすれば顧客の利益になるのか」を考えるのが「デザイン」です。

一方で「アート」は、自分が出発点です。自分は何を考え、自分はどうしたいのか、を問いかけ、それを表現するのがアートです。
ビジネスにする、しないが「アート」と「デザイン」の差と考える人もいるかもしれませんが、それも正確ではありません。「アート」で大儲けしている人も世の中にはたくさんいますし、アンディ・ウォーホールに代表されるポップ・アートの人たちのように、アートで商業的に展開する人たちも少なくありません。

ただ、この「商業的に展開」する場合、アートとデザインはそのプロセスが異なります。
デザインはまず「人間(顧客)ありき」ですので、顧客やそのまわりのステークホルダーについてよく調べて、そのうえで「共感」のプロセスがあり課題(何を解決するか)を「定義」します。
アートの場合は、社会や自分自身への「問い」つまり「課題の認識」があります。それを表現するのですが、その表現物(作品)に対し、「共感してもらう」というプロセスです。

デザイン思考の限界

上記でも述べたようにデザイン思考は「課題の解決」を目的としています。しかし今日のような複雑な社会では、「課題の解決」が往々にして他の課題や問題を生むことがあります。
「行為の意図せざる結果」と言われるものです。

プラスチックやペットボトルの登場は、私たちの生活を豊かにしましたが、その廃棄物である廃プラスティックによる海洋汚染が世界中の問題となっています。地球温暖化問題も私たちの暮らしを便利にしたいという「課題解決」の「意図せざる結果」と言えるでしょう。

「ユーザー中心」であるデザイン思考では、残念ながらこれは避けられません。そのためにはユーザーのためのデザインにとどまるのではなく、その先の環境など全体を俯瞰したり、より良い世界を創りたいと願う自分視点が必要になります。
Krebs Cycle of Creativityで言えば、デザインからさらにアート、サイエンスへとめぐる循環が必要です。

伊藤穣一さんは、現代の社会の問題点の多くはKrebs Cycleがうまく回っていないことが原因と述べています。例えば貧富の差が拡大しているのは、マーケットの効率よくなっているのに、社会の仕組みが循環可能なサイクルになっていないので、効率化の恩恵が一部のお金持ちのみに滞留しているため。医療、教育、環境問題も同様で、これまでバランスを保って来たループが欠けてしまったことにより、自律的な調整機能がうまく働かなくなってしまったために起こった問題だとしています。

現代社会では、科学、エンジニアリング(テクノロジー)は十分すぎるほど進歩して、私たちの生活を豊かにしてきました。また最近ではデザインの重要性も強調されていることもご存知の通りです。
そんな中で「アート」が社会循環に及ぼす枠割、現代社会でこの部分を私たちは軽視してきたことが、現代の様々な課題や問題の背景にあると言い換えることができるかもしれません。

アート思考の必要性

デザイン思考がデザイナーの視点や考え方のプロセスをなぞる思考法とすると、アーティストの思考法で物事をとらえるのが「アート思考」ですが、Krebs Cycle of Creativityの考えも取り入れたうえで、デザイン思考とアート思考を図示化したのが下図です。

デザイン思考とアート思考の差は、自己言及があるかないかの差。What(何を)How(どうやって)の視点から、顧客やユーザーのWhy、What、Howを考えるのがデザイン思考。
アート思考は、自分自身のWhy(なぜ)を入れて、Why、What、Howを回していく、すなわち自己言及(自省)を行う。
そして同時に、デザイン、エンジニアリングも考える(研究者にとってはサイエンスが「構造レイヤー」に入ります)。顧客やその先の環境とどうつながるのか考えるのがアート思考にとって大切なことです。

これはまさに「自己組織化、創発」のフレームワークそのものでもあります。
実際にアートは「創発活動」そのものですから、これは当然のことともいえるでしょう。

複雑系社会のなかでいかに「自己組織化」のサイクルをまわすのか、これが私が慶應SDMの研究員としての研究テーマであり、また実務としても実現させたい社会の在り方でもあります。

「自己組織化経営」の論文が経営学術誌に掲載されました
自然経営(ティール組織、ホラクラシー経営)とウェルビーイング(幸福)の関係

今田高俊東工大名誉教授は、著書「自己組織性ー社会理論の復活ー」(創文社)において、現代の社会科学は言語喪失の状態にある。今最も必要なことは、個人と社会をつなぐ新たな言語の発見、社会理論の再構築が必要であると述べています。そして新たな言語の創生は「自己組織化」をキーワードに添えることによって可能ではないかと提言されました。

そうすることで、瀕死の状態にある社会理論は復活が可能であるというのが今田氏の考えです。またこれは私個人の(まだまとまっていない)考えですが、Krebs Cycle of Creativityは、野中先生の「SECIモデル」にも変換可能ではないかという気がしています。

洋の東西を問わず、社会課題の方向性は一致しているところが多いですし、その取り組みも共通しているところが少なくありません。
今後研究や実践を続けていく中で、私なりのメッセージを発信していけたらと考えています。

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