物理学アプローチ(還元論 論理的思考)の限界

どうして生きていく中で様々な問題が起こるのか? どうすれば解決が可能なのか?
私たちはそもそも何者で何のために生きているのか?

こういった謎を説くために学問(あるいは宗教や哲学も)は存在していると言っても過言でもないと思います。
古代から様々なアプローチがなされています。古代ギリシャのタレスは「万物は水である」と唱え、また古代中国では、世界は「火」「水」「木」「金」「土」の5つでできていると考えられていました。
教会が権力を持ったいわゆる中世暗黒時代は、すべては神が創ったものとされましたが、ルネサンス以降、再び科学的アプローチが盛んになります。
コペルニクス=ガリレイの地動説、そしてそれを決定づけたニュートンの万有引力の法則、力学の法則の発見が、科学・物理学時代の隆盛の幕開けでした。
物理学や力学の利用は、蒸気機関に始まる様々な機械の発明へとつながり、産業革命が私たちの生活を豊かにしました。
ガリレイが発明した望遠鏡やそれと同じ原理の顕微鏡は、今までわからなかった世の中の仕組みを明らかにします。
メンデレーエフは、この世の物質はすべて、100種類あまりの元素からできていることを明らかにしますが、その元素はすべて、陽子・中性子・電子の3種類からできていることがわかり、さらにそれらはクォークなるものからできていることが明らかになります。

こういった、世の中の物質や仕組みをどんどん分割していって、「それが何からできているのか」を調べることが、謎の解明、あるいは問題点の解決につながるという考え方を「還元主義」といいます。
科学や物理の分野だけでなく、私たちの考え方、論理思考もこの「還元主義」の産物です。
会社に問題が起こる。例えば今年は赤字決算になってしまった。
そうした場合、私たちは、どこにその赤字の原因があるのかを調べます。
商品A・B・Cの3種類あるけれど、よく調べてみたら、商品Cの売上が予想を下回っていた。さらに細かく分析して、商品Cの製品に問題があるのか、あるいはマーケティング手法に問題があるのか。マーケティング手法に問題があるとすれば、どのチャネルが悪かったのか、というようにどんどん分割して、原因を特定する。
その上で、その原因を排除するなり、代替手段をとるなりという解決策を図る。
このように物事をどんどん分割していくのが、論理思考の中心になります。

このように対象がどんどん細かくなっていって、それで世の中の謎が解明できたのでしょうか?
20世紀初頭に生まれた量子力学の分野では、粒子と波の二重性が明らかになってきて、物事を細かく分割しても、世界の謎の解明にはつながらないことが明らかになってきました。
解明の対象を分子→原子→クォークと細かくしていくにつれ、それは粒子なのか波なのか、それは存在しているのかいないのかさえ曖昧になってきた。
量子力学の世界では、細かくしたり分割したりすることは、もはやその謎の解明にはつながらないのです。
さらに言えば、その解明が人類の幸せ繋がったのかというと、物理学の行き着いた先が広島・長崎に投下された核兵器であったりするわけで、科学の進歩は、人類の幸せにつながらないどころか、人類滅亡につながるのではないかという懸念がでてきた。
そもそも戦争は、国家間紛争を解決するために行われるわけですが、原爆投下をもって終わらせた第2次世界大戦後すぐに、米ソの対決(冷戦)が始まりました。
また人類の危機は戦争だけでなく、産業の発展に伴う、公害の発生、二酸化炭素の増加に伴う気候変動や海面上昇、環境破壊などが顕著になり、私たちは未だその解決策を持っていません。
二酸化炭素の増加を抑えるためには、石油の消費を抑えなければいけない。そこで、代替エネルギーを使おうと考えます。
そこで生まれたのが原子力エネルギーです。原子力エネルギーは、二酸化炭素を排出しません。
2000年代前半は「クリーンエネルギー」として、原発ビジネスがもてはやされましたが、311が明らかにしたように、放射能問題という別の問題点が生まれます。
他のいわゆる「環境エネルギー」にしても、風力発電の低周波問題とか、それはそれで問題が起こります。
論理思考では、これら人類の危機を特定できたとしてもても、それを解決することは難しいのです。
地球温暖化の原因が二酸化炭素であることがわかっても、その排出を根本的になくすことはできません。環境破壊をなくしたければ、それは人類の営みをなくすことと同義になってしまいます。世界から戦争や紛争はなくなる気配すらありません。

還元主義への批判が、第2次世界大戦という悲劇の中で生まれてきたのは、ある意味歴史の必然とも言えるかもしれません。
第二次大戦の勃発時に、原子爆弾の製造をルーズベルト大統領に進言したアルバート・アインシュタインはその後、「もし人類がこれ以上の生存を望むなら、われわれに求められているのはまったく新しい思考法であるだろう」と著書に書いています。

システム思考の歴史(2)へ続く